最高裁判所第二小法廷 昭和42年(あ)1778号 判決 1968年8月02日
主文
原判決を破棄する。
本件を大阪高等裁判所に差し戻す。
理由
弁護人三木今二の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。
しかし所論にかんがみ職権をもつて調査すると、原判決は、後記のように刑訴法四一一条一号により破棄を免れないものと認められる。
本件は、被告人が、昭和三九年一一月一九日、京都市内の通称五条通り(この道路は、東西に通じ、中央グリーンベルトがあつて片側車線が四通行帯に区分され、西行車線は、南端を第一通行帯とし、順次北方に第二通行帯、第三通行帯、第四通行帯となつている。)の第二通行帯を、軽四輪貨物自動車を運転して西進し、午後六時三〇分ころ、南北に通ずる通称西洞院通りとの信号機のある交差点にさしかかつたが、同信号機が青色であつたので、そのまま進行したところ、五条通りを東進して同交差点を右折してきた被害者宮永光鉄の運転する原動機付自転車と衝突し、同人に加療約二ケ月を要する左側頭部挫傷等の傷害を負わせた事件であるが、原判決は、「被告人は、被害車両が本件交差点中央の線より南東の前記停車地点を発進した際には同交差点横断歩道の東端から東方約28.3メートルの地点に、グリーンベルト南端の線通過の際においても同じく約20.7メトール東方にいたことになるのであつて、前記道路交通法三七条二項によつても、被害車両は既に右折していたと認められるのであるから、その進行を妨げてはならないことはもちろん、交差点の右横断歩道に進入後、僅か7.6メートルの至近距離に至つてはじめて被害車両を発見したのは、被告人が進路前方交差点内の安全、ことに右斜前方の安全を確認をすることを怠つたことによるものであることは明らかである。」として、被害車両に本件交差点の優先通行権を認め、被告人に交差点内とくに右斜前方の安全確認義務違反があつたとし、同趣旨の第一審判決を是認し、控訴を棄却した。
ところで第一審判決が証拠として掲げている被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書ならびに第一審公判廷における供述、司法巡査作成の実況見分調書によれば、被告人は、本件事件当時から、「時速約三七粁で進行し本件交差点附近にさしかかつたが、同交差点の信号は青色であり、右斜前方約14.4米地点の第三通行帯を西進するタクシーがあつただけで、私の前方および右方には自動車は見当らなかつたためそのまま進行したところ、先行するタクシーの後ろから相当な急速度で飛び出してきた被害車両を右斜前方約7.6米地点に発見し、急ブレーキをかけたが間に合わず、衝突してしまつた。」旨弁解しているのであるが原判決は、この弁解を取りあげず、前記判示に引きつづき、「もつとも原判決(第一審判決)は交差点手前20.15メートルで第三通行帯を疾走してきた普通乗用自動車に追い抜かれた旨認定しており、前記実況見分調書では、被告人が交差点に入る直前右車両は14.4メートル右斜前方を進行していることとなつているが、右各距離はいずれも単なる被告人の指示によるものであり、前記いずれの計算によつても誤であることが明らかであつて、被告人が普通乗用自動車に追い抜かれたのは右の地点であると推測される。」と判示して、被告人の前記のごとき弁解を排斥した。
しかしながら、原判決がこの様な判断をしたのは、計算上の数字を根拠するものであるが、その計算それ自体に誤りがないとしても、それは、被害者が右折するため本件交差点中央で停止した地点、右折してグリーンベルト南端の線を通過した地点、被告人が被害者を発見した際被害者の進行していた地点、衝突地点およびそれらの各場合に被告人が進行していた地点等の各地点相互間の距離、被告人が本件交差点に差しかかつた際の時速ならびに原審検証時に実験した被害車両が一一米(被害者の指示する一時停止の場所から衝突地点までの距離)を進行するに要した時間を基礎として計算した結果であり、前記各地点間の距離についてみると、実測によるものを含んでいるとはいえ、多くは計算の便宜上の仮定あるいは実況見分調書添付図面の各点を縮尺によつて測定したものにすぎないのである。しかし本件実況見分調書添付図面が正確な縮尺にもとづいて作成されたとする保証は記録上全く存在しないところであるし、又実測によるものについてみても、元来被告人ら事件関係者の指示するところが完全に正確なものとは云いがたいのに、本件のごとく数米の短距離の実測の結果を拡大して、数十米の距離の計算の根拠とするときは、その誤差は相当大きなものとなることはおのずから明らかである。さらに又原判決は、その計算過程において、被告人が被害者を発見してから衝突するまでの距離およびその間の被害者の進行距離から、被告人および被害者の速度比を出しているが、被告人の場合は被害者を発見して急制動をかけて減速しつつあるものであるのに対し、被害者は発進して速度を上昇させつつある場合のものであるのに、この点を考慮に入れることなく漫然これを計算の基礎にしているのである。
もつともこのような計算も、関係者の供述の信ぴよう性を検討する一資料として利用し得る場合のあることはいなめないけれども、本件交差点南側で信号待ちをして本件事故を目撃した京都市営バスの運転手伊賀健治も、第一審公判廷において、「当時南北信号は赤であつたので停止していると、五条通りを東から西に三台の自動車が走り、先行の一台目が通り過ぎた直後、二台目の被告人の軽四輪が通過する瞬間、被害者の単車と衝突した。一台目と被告人の車との間隔は六、七米あつたと思う。」旨被告人の弁解に沿う供述をしており、そのことから考えても被告人の弁解にもたやすく排斥し得ないものがあるのに、前記のごとき根拠の薄弱な計算を唯一のよりどころとして被告人の弁解を軽々しく排斥したのは、著しく採証法則に違背した違法な判断であつて、到底容認することができない。
そして、もし被告人の供述するごとく、被告人が先行車に比較的近接して進行していたとすれば、その位置関係によつては、原判示のような注意義務を要求することができない場合も考えられるところである。とすれば、原判決の前記のごとき違法は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認める。
よつて刑訴法四一一条一号により原判決を破棄し、さらに審理を尽くさせるため、同法四一三条本文により本件を原裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
公判出席検察官 斎藤周逸(奥野健一 城戸芳彦 石田和外 色川幸太郎)